二十四節気七十二候

  人が時間としての一年を感得するのは、皮膚としての寒暑の繰り返しであろうけれども、目に見える実態では日の影の長さであろう。日々の南中時である正午の影の長短をもって季節と重ねあわせるのは妥当な発想であろう。

*)一日を二等分する正午は太陽の南中時である。「方角としての南はどうして求めるのだ?」の解は、同意反復のようだが「一日のうちもっとも日の影が短いときの太陽の方向」である。だから標準時がない江戸時代までは地方ごとに正午は異なることになる。

その日の影のもっとも短い日を冬至といい、もっとも長い日を夏至と名づけた。どっちを年の初めにしてもいいが、冬至の翌日を元日としたのが暦の発祥というのは、人の向日性(=明るい未来を願う気持ち)のゆえんであろう。

次に冬至と夏至と間を二分した春分、夏至と冬至の間を秋分とする。春と秋のそれぞれの頂点(いわば分水嶺)の日だからである。この冬春夏秋の4つのピークの中間点を、立春・立夏・立秋・立冬としたのも論理的である。ここまでは天文的事実(現代では太陽の黄道上の位置)の追認で「二至二分四立」という。

ここで1年が8分割されるが、月を見て日を数える太陰暦の12か月と一致しない。(なぜなら8分割は太陽の動きだけの観察であって月とは関係ない)。両方の生活意識と接近させるためにとられたのが、区分された8つをそれぞれ3つに分けることであった。これで間隔はほぼ半月ごとになって月の運行と近しくなった。

新しく設置された名称は自然の季節表現ではあるが、黄河流域中原地方の地域性がいくぶんにおってくる。この新設されたものが8×2=16、先の「二至二分四立」と併せて24の季節表現を「二十四節気」という。

立春から雨水、啓蟄そして春分である。ちなみに各、「春の気たつ」、「陽気地上に発し雪氷融けて雨水となる」、「陽気地中に動き縮まる虫穴開き出づ」、「日天の中を行て昼夜等分の時」である。

もっとこまかく季節を追いたい向きには、二十四節気をさらに三等分してほぼ5日ごとに新たな季節感を享受できる「七十二候」がある。

このことはまた稿を改める。

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