中国詩の双璧 李白と杜甫

詩仙と詩聖の優劣

 李白と杜甫が中国詩の歴史において、双璧をなしているのは動かしがたい事実である。李白は詩仙と呼ばれ、杜甫は詩聖と称される。では、いずれを以て上位となすか。宋代より現代に至るまで喧々諤々の論争が続くが、なお決着はついていない。

 政治道徳論的に杜甫を勝るとする者はいる。しかし、それらは「杜甫が唐室に忠節であった」とか、「李白は風月草木や神仙虚無をうたい人民教化の功はない、然るに杜甫は…」と論ずる類である。芸術において、表現者が国家権力や体制側であったことを以て佳とされることがあってはならない。こうした意見を述べる者は、芸術を知らないだけでなく、人間の皮を被った狼なのである。

 文学者たちは両者の特色の違いをあげて論じてきた。

南宋の厳羽は、

「李白と杜甫とは優劣を論ずべきではない。李白には一二の妙処があってそれは杜甫にはまねられないし、杜甫には一二の妙処があってそれは李白にはまねられない。杜甫は李白のような飄逸な趣の詩は作れないし、李白は杜甫のような沈鬱な趣の詩は作れない。李白の〈夢に天姥山に遊ぶ歌〉や〈遠離別〉は杜甫に作れないし、杜甫の〈北征〉や〈兵車行〉や〈垂老の別れ〉は李白には作れない」と言い、

明の王世貞は、

「五言古詩および七言歌行では、李白は気をもって主となし、自然をもって宗となし、俊逸にして高暢なのを貴となす。杜甫は意をもって主となし、独創をもって宗となし、奇抜にして沈雄なのを貴となす。その歌行の妙が、読む人を飄々として仙人になりそうにさせるのは李白であり、読む人を憤慨させ、激情をおこし、泣き出しそうにさせるのは杜甫である。……五言律詩、七言歌行では杜甫は神であり、七言律詩では聖である。五言絶句、七言絶句では李白は神であり、七言歌行では聖である。李白の七言律詩、杜甫の七言絶句は変体であって、あまり参考にならない。(「神」というのは、人間離れしている、「聖」というのは、もはやこれ以上どうしようもないまでに完璧に出来上がっている、というほどの意味)」と言うのである。

 今回は、李白(701年5月19日~762年11月30日)の七言絶句から二編、

杜甫(712年2月12日~770年)の七言歌行から一編を鑑賞する。

黄鶴樓送孟浩然之廣陵     李白

 故人西辭黄鶴樓

 烟花三月下揚州

 孤帆遠影碧空盡

 唯見長江天際流

【訓み】「黄鶴楼にて孟浩然が広陵へ之くを送る        李白」

 故人西のかた黄鶴楼を辞し 烟花三月揚州に下る 

孤帆の遠影碧空に尽き   唯見長江天際を流るるを 

(「こうかくろうにてもうこうねんがこうりょうへゆくをおくる」 こじんにしのかたこうかくろうをじし えんかさんがつようしゅうくだる こはんのえんけいへきくうにつき ただみるちょうこうのてんさいにながるるを)

【語注】

・広陵:江蘇省揚州。唐代には繁栄した都市だった。 ・黄鶴楼:湖北省武昌の西南。長江を見下ろす高台にある楼。崔顥「黄鶴楼」で知られる。 ・烟花:春霞。 ・揚州:広陵に同じ。金がめいっぱいあって景色のいい揚州の上空を飛ぶことは誰もが夢に描くがけして叶わないことから、「揚州の鶴」というと「叶わない夢」のたとえ。 ・孤帆:一隻の帆かけ舟。 ・遠景:はるか彼方に見える姿。 ・碧空:青空。 ・天際:天のキワ。空と水の接する部分。

【釈】「黄鶴楼において孟浩然が広陵に旅立つを送る」

 古くからの先輩である孟浩然が、西に赴かんとして黄鶴楼を去って 三月の春霞と花の中を、揚州に下って行く 友の乗る一艘の帆掛け船が、遠い点となって碧空に溶けこみ 長江の水が空との境に流れるのが見えるだけである  

早發発白帝城                 李白

 朝辭白帝彩雲閒

 千里江陵一日還

 兩岸猿聲啼不盡

 輕舟已過萬重山

【訓み】「早に白帝城を発す            李白」

 朝に辞す白帝彩雲の間    千里の江陵一日にして還る

 両岸の猿声啼いて尽きざるに 軽舟已に過ぐ万重の山 

(「つとにはくていじょうをはっす」 あしたにじすはくていさいうんのかん せんりのこうりょういちじつにしてかえる りょうがんのえんせいないてつきざるに けいしゅうすでにすぐばんちょうのやま)

【語注】

・彩雲:朝焼けの空に五色の雲がたなびいている様子。 ・江陵:三峡を抜け、下ったところにある湖北省の都市。現在の荊州。唐の時代は荊州の州役所が置かれ、要衝の地だった。 ・両岸猿声:長江を挟んだ両側の崖から、猿の声が聞こえてくる。この猿はニホンザルではなく、体がずっと大きく、キキーキキーとするどい声を発す。 ・軽舟:軽やかな小舟。舟の重量が軽いのではなく、快速で滑るように下っていくスピード感。 ・万重の山:幾重にも重なった山々。

【釈】「朝に発す白帝城」

暁闇まだき頃合いに白帝城を発し、船は五色の雲中を下る 千里先の広陵までは一日の航程 その間、両岸の山々から猿たちの鳴き声が止むことなく聞え 船は幾重もの山々の間を走り抜けて突っ走る 

哀江頭                     杜甫

 少陵野老吞聲哭

 春日潜行曲江曲

 江頭宮殿鎖千門

 細柳新蒲爲誰綠

 憶昔霓旌下南苑

 苑中萬物生顔色

 昭陽殿裏第一人

 同輦隨君侍君側

 輦前才人帶弓箭

 白馬嚼齧黄金勒

 翻身向天仰射雲

 一笑正墜雙飛翼

 明眸皓歯今何在

 血汚遊魂歸不得

 清渭東流劍閣深

 去往彼此無消息

 人生有情涙臆霑

 江水江花豈終極

 黄昏胡騎塵滿城

 欲往城南望城北

【訓み】「江頭に哀しむ     杜甫」

少陵の野老声を呑んで哭す      春日潜行す曲江の曲

江頭の宮殿千門を鎖す        細柳新蒲誰が為にか緑なる

憶ふ昔霓旌南苑に下りしを      苑中の万物顔色を生ず

昭陽殿裏第一の人          輦を同じうし君に隨つて君側に侍す

輦前の才人弓箭を帯び          白馬嚼齧す黄金の勒

身を翻へし天に向うて仰いで雲を射る 一笑正に墜つ双飛翼

明眸皓歯今何にか在る        血汚して遊魂帰り得ず

清渭は東流して剣閣は深し      去往彼此消息無し

人生情有り涙臆を霑す        江水江花豈終に極まらんや

黄昏胡騎塵城に満つ             城南に往かんと欲して城北を望む

(「こうとうにかなしむ」  しょうりょうのやろうこえをのんでこくす しゅんじつせんこうすきょくこうのくま こうとうのきゅうでんせんもんをとざし さいりゅうしんぽみかどのんぶつがんしょくをしょうず しょうようでんりだいいちのひと れんをおなじうしきみにしたがつてくんそくにじす れんぜんのさいじんきゅうぜんをおび はくばしゃくげつすおうごんのくつわ みをひるがへしてんにむかうてあおいでくもをいる いつしょうまさにおつそうひのつばさ めいぼうこうしいまいずくにかある けつおしてゆうこんかえりえず せいいはとうりゅうしてけんかくはふかし きょじゅうひししょうそくなし じんせいじょうありなみだむねをうるおす こうすいこうかあについにきわまらんや こうこんききちりはしろにみつ じょうなんにゆかんとしてほっしてじょうほくをのぞむ)    

【語注】・哀江頭:「曲江のほとりで哀しむ」という意味の楽府体。

・少陵:長安の南にある漢の宣帝の皇后の陵。杜甫の家があった。 ・野老:いなかおやじ。 ・潜行 人目をしのんで行く。 ・曲江:長安中心部より東南東数キロのところにある池の名。 ・曲:湾曲した部分。 ・新蒲:がまの新芽。 ・霓旌:虹色の旗。鳥の羽を五色に彩った。天子の行幸に際し掲げる。 ・南苑:曲江の南にあった庭園、芙蓉苑。 ・生顔色:活き活きと輝くこと。 ・昭陽殿裏第一人:「昭陽殿」は漢の成帝の寵姫趙飛燕のいた宮殿。趙飛燕をさすが、暗に楊貴妃をさす。 ・同輦:天子の輦(車)に同乗すること。

・才人:天子にお仕えする女官。 ・弓箭:弓と矢。 ・白馬:玄宗の愛馬・照夜白。 

・嚼齧:噛み砕く。 ・雙飛翼: 二羽ならんで飛んでいる鳥。玄宗と楊貴妃を暗示する。 

・明眸皓歯:明るい目と白い歯で美人の形容。 ・遊魂:さまよう魂。 ・清渭:清らかに澄んだ渭水。 ・東流:楊貴妃の魂が死んだ馬嵬から東へ流れて長安に戻ってくることを暗示。 ・劍閣:山の名。長安から四川の成都へ到る街道上の要衝。 ・去住:去る者。蜀に去った玄宗。 ・彼此:留まる者。馬嵬で死んだ楊貴妃。 ・臆:胸。 ・胡騎:賊軍の騎馬。 ・城南:長安の南。杜甫の家のあるところ。 ・城北:粛宗のいた北方にある霊武。

【釈】 「曲江の畔に泣く」

少陵の老いぼれが声を殺して泣いている

      春のある日、曲江の曲がり淵をこっそりと歩いた

流れに面した宮殿のすべての門は鎖されたままである

      芽吹きの柳や新しい蒲の穂は春に煌めくが、誰がために微笑む緑なのか

昔を憶いだす、天子の虹色御旗がこの南苑に下りた日のこと

      御苑の中のすべて、生きとし生きるものの顔が輝いていた

昭陽殿の中には、御寵愛第一の楊貴妃さま

      玄宗さまと輦を同じくされ、御側に随い、御寵愛を忝くされる

輦の前を行く女官の才人は、弓箭を身に帯び

            帝の白馬は黄金の勒を噛む

才人が身を翻して空を仰ぎ、矢をつがえて雲を射る

笑顔のお二人の前に、ひとつがいの比翼の鳥が墜ちる

かの美しき明眸皓歯のお方は、今いずこにいらっしゃるか

      血に汚れたまま彷徨う魂は、帰ってくることもできない

清らかな渭水は東に流れ、剣閣は奥深いかなたにある

      去り往きし者も留まりし者も、消息はなくなり

人々は情があるゆえに、涙が胸を濡らすのである

      曲江の水も曲江の花も、いつまでも変わることはあるまい

黄昏どき、夷(えびす)武者たちの舞い上げる埃は城内に満ちる

            城南に往こうと思いつつ、城北を望んでしまったのだった

TOSHIHIRO IDE について

九州産の黒豚 山を歩きます 乗り鉄です 酒と女を愛したいと思った過去もあります 酒の需要能力は近ごろとみに衰えました 女性から受容していただける可能性はとっくに消失しています 藤沢周平や都はるみが好きです 読書百遍意自ずから通ずであります でも夜になると活字を追うのに難渋しています  
カテゴリー: 未分類 パーマリンク

コメントを残す