多岐亡羊

 多岐亡羊という言葉あるいは諺または熟語を、知ったのは中学校3年生の秋だった。本屋の書棚で岩波全書の『漢文入門』(小川環樹・西田太一郎:380円)を見つけ、「漢文も読んでみたいな」と思って買ったのだ。読んでからわかったが、中学生の“入門”には適していなかった。かなり難しい。いうなれば大学文学部新入生レベルの入門書である。中学生わかるはずもない。

 羊を追って森に入ってどんどん行く。岐路がある、右か左か? ままよ、どっちかに行く。その先にまた分れ道、どっちか選ぶ。そのまた先にも分岐、どっちかに行く。「ああ、もうどうなっているのか分からなくなってきた」。途方にくれてしまったのだった。

 といった物語だと思って読んだら、実際はもうすこし深遠なことをささやいている故事物語であった。オチは後までお楽しみにして置くとして、出典は『列子』説符篇である。列子は中国戦国時代の諸子百家の一人である列禦寇(れつぎょこう)と、その著とされる道家の文献名。文献は後世「冲虚至徳真経」ともいわれる。実在の確証はないが、鄭の圃田の出身といわれる。多岐亡羊のほか、『列子』を出典とする故事成語は、「杞憂」「朝三夕四」「愚公移山」「疑心暗鬼」などがある。

多岐亡羊

楊子之鄰人亡羊、既率其黨、又請楊子之豎追之。楊子曰、嘻、亡一羊、何追者之衆。鄰人曰、多岐路。既反、問獲羊乎。曰、亡之矣。曰、奚亡之。曰、岐路之中、又有岐焉、吾不知所之、所以反也。楊子戚然變容、不言者移時、不笑者竟日。門人怪之、請曰、羊賤畜、又非夫子之有、而損言笑者何哉。揚子不荅、門人不獲所命。


弟子孟孫陽、出以告心都子。心都子他日與孟孫陽偕入而問曰、昔有昆弟三人、游齊魯之閒、同師而學、進仁義之道而歸。其父曰、仁義之道若何。伯曰、仁義使我愛身而後名。仲曰、仁義使我殺身以成名。叔曰、仁義使我身名並全。彼三術相反、而同出於儒、孰是孰非邪。楊子曰、人有濱河而居者、習於水、勇於泅、操舟鬻渡、利供百口、裹糧就學者成徒、而溺死者幾半。本學泅不學溺、而利害如此。若以為孰是孰非。

心都子嘿然而出。孟孫陽讓之曰、何吾子問之迂、夫子荅之僻? 吾惑愈甚。心都子曰、大道以多岐亡羊、學者以多方喪生。學非本不同、非本不一、而末異若是。唯歸同反一、為亡
得喪。子長先生之門、習先生之道、而不達先生之況也、哀哉。

『列子』説符

【読み下し】「多岐亡羊」

(ようし の りんじん ひつじ を うしな ふ。すで に その とう を ひき ゐ、また ようし の じゅ にこれを お わんことを こ ふ。ようし いわ く「ああ、いちよう   を うしな い、なん ぞ お う もの の おお きや」。りんじん いわ く「きろ おお ければ なり」と。すで に かえ る。ひつじ を え たるかを と う。いわ く「これを うしな えり」。いわ く「なん ぞ これを うしな う」と。いわ く「きろ の うち、また えだみち あ り、われ ゆ く ところ を し らず、かえ りし ゆえん なり」と。ようし しゅくぜん として よう を へん じ、ものい わざる こと とき をうつ し、わら わざること きょうじつ なり。もんじん これを あや しみ、こ いていわ く「ひつじ は せんきゅう、また ふうし の ゆう に あらず、しか るに げんしょう を そん ずる もの は なん ぞや」。ようし こた えず、もんじん めい ずる ところ を えず。)

 弟子孟孫陽、出て以て心都子に告ぐ。心都子他日孟孫陽と偕に入りて問ふて曰く『昔昆弟三人有り、斉魯の間に遊び、師を同じふして学び、仁義の道を進して帰る。その父曰く「仁義の道若何」と。伯曰く「仁義は我をして身を愛して名を後にせしむ」と。仲曰く「仁義は我をして身を殺して以て名を成さしむ」と。叔曰「仁義は我をして身名並びに全うせしむ」と。かの三術相反し、而も同じく儒より出づ。孰れか是にして孰れか非なるま』と。揚子曰く「人河に濱して居る者有り、水に習ひ泅に勇なり。舟を操りて渡を鬻ぎ、利は百口に供す。糧を裹みて就き学ぶ者徒を成す、而るに溺死する者幾ど半ばなり。本泅を学べども溺を学ばず、而して利害此の如し。若以為へらく孰れが是にして孰れが非なる」と。

 (ていし もうそんよう、いで て もっ て しんとし に つ ぐ。しんとし たじつ もうそんよう と とも に い りて と うて いわ く『むかし こんてい さんにん あり、せいろ の かん に あそ び、し を おな じうしてまな び、じんぎ の みち を つく して かえ る。その ちち いわ く「じんぎ の みち いかん」と。はく いわ く「じんぎ は われ をして み を あい して な を のち に せしむ」と。ちゅう いわ く「じんぎ は われ をして み を ころ して もっ て な を な さしむ」と。しゅく いわ く「じんぎ は われ をして しんめい なら びに まっとう せしむ」と。かの さんじゅつ あいはん し、しか も おな じ じゅ より い づ。いず れが ぜ にして いず れが ひ なる』と。ようし いわ く「ひと かに ひん して い る もの あり、みず に なら い しゅう に ゆう なり。ふね を あやつ りて と を ひさ ぎ、り は ひゃっこう に きょうす。りょう を つつ みて つ き まな ぶ もの と を な す、しか るに できし する もの ほとん ど なか ばなり。もと しゅう を まな べども でき を まな ばず、しこう して りがい かく の ごと し。なんじおも えらく いず れが ぜ にして いず れが ひ なる」と。)

(しんとし もくぜん として い づ。もうそんよう これを せ めて いわ く「なん ぞ ごし の とうの う にして、ふうし の こた うるの へき なる。わ が まど い いよいよ はなは だし」と。しんとし いわ く「たいどう は たき を もっ て ひつじ を うしな い、がくしゃ は たほう を もっ て せい を うしな う。がく は もと おな じからざるに あら ず、もと いつ ならざるに あら ず、しか も すえ の こと なること かく のごと し。ただ どう に き し いつ に かえ らば、とくそう な しと なす。し せんせい の もん に ちょう じ、せんせい の みち を まな び、しか も せんせい の たとえ に たっ せざるか、かな しいかな」と。)

【語注】

(1)既率其黨、又請楊子之豎追之:「既…~又」は「~した上にまた」。「党」は一家のもの。「豎」は子ども。  (2) 岐路:わかれみち。 (3) 奚:何と音が近いので仮借する。 (4) 又有岐:「焉」は「於此」と同じ意味。またわかれみちのなかにわかれみちがある。「又焉(ここに)岐有り」と訓読してもいい。 (5) 吾不知所之:わたしは向ってゆくべきところがわからぬ。どちらへいったらいいかわからぬ。(6)所以反也:かえってきた理由である。このようなときは「だからかえってきたのである」と訳すといい。(7)戚然:「戚」は「蹙(しゅく)」の省文。顔をしかめるさま。(8)變容:かおつきをかえる。(9)不言者移時:ものをいわぬことがしばらく。「言」は自動詞で補語がなければ「ものいふ」と訓読するならわしになっている。(10)竟日:一日中。(11)請:問う。(12)夫子之有:先生のもちもの。(13)損言笑:「言笑を減(へ)らす」という意味だが、ここでは「ものをいったり笑ったりしない」という意味。(14)不獲所命:「命」は「教」。何も教えてもらえなかった。

(15)齊魯之閒:斉魯の地方。斉も魯もいまの山東省にあった国。魯は孔子のいた国。いずれも当時の学問の中心地。(16)進:「盡」の仮借。(17)伯:兄弟のうちで最年長者。つぎは「仲」、つぎは「叔」、そのつぎは「季」という。(18)仁義使我愛身而後名:孝経の「身體髪膚、受之父母、不敢毀傷、孝之始也、立身行道、揚名於後世、以顕父母、孝之終也」という教えを会得したのである。(19)仁義使我殺身以成名:論語の衛霊公篇の「志士仁人、無求生以害仁、有殺身以成仁」という教えを会得したのである。(20)使我身名並全:詩経大雅蕩(たいがとう)の烝民(じょうみん)の詩の「既明既哲、以保其身」という教えを会得したのである。(21)濱河:黄河に沿って、黄河の沿岸に。(22)習於水勇於泅:水になれて泳ぐのに勇敢である。(23)鬻渡:渡船稼業をする。(24)利供百口:利益が大勢の家族に供給された。そのもうけで大勢の家族を養うた。(25)裹糧就學:弁当をもってその人のところに来て学ぶ。(26)成徒:衆をなす、おおぜいになる。(27)幾半:「半ばに幾(ちか)し」と読んでもいい。

(28)讓:「責」と同じ意味。(29)迂:迂遠、まわり遠い。(30)僻:かたよっている、まとはずれ。・學者以多方喪生:学問をするものは方法が多くあるために本性をそこなう。「生」は「性」と同じ。(31)歸同反一:本来相違のないところにたちかえる。・為亡得喪:得たり失ったりすることがないのである。「為」は「と為す」と読みならわしているが、意味は「為(た)り」「である」。(32)長:学問が進む。(33)況:譬に同じ、たとえ。

【広辞苑第七版の解釈】

多岐亡羊【たきぼうよう】

(逃げた羊を追ううち、道が幾筋にも分かれていて、羊を見失った故事から)学問の道があまりに多方面に分かれていて真理を得難いこと。転じて、方針が多すぎてどれを選んでいいか迷うこと。

亡羊の嘆【ぼうようのたん】

 「大道は多岐にして以て羊を亡い、学者は多方にして以て生を喪う」(逃げた羊を追うのに岐路が多くてその行方を失って嘆く意)学問の道があまりに多方面に分かれているため、真理の得難いことを嘆くこと。また、方法に迷って思案にくれること。

 

TOSHIHIRO IDE について

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