芭蕉、桜の八句

芭蕉、桜の八句

 今年の桜も果敢なくなった。人はなぜ桜の美をほめそやし、花の下で酒酌み交すを好しとするのだろうか。俳聖といわれる芭蕉の句から八つばかりを抜き出し、その情趣をともにしたいと思う。今回の指南書はピーター・J・マクミランの「松尾芭蕉を旅する―英語で読む名句の世界」(講談社:2021)である。短詩形の文芸を外国語に翻訳することは可能だとしても、表現を短詩形にすることはすこぶる難しい。だが、翻訳された外国語を読んで意味の近接を知ることは喜びである。なお選句は指南書のみのピックアップではない。句の配列は芭蕉の年齢順とした。

一 うかれける人や初瀬の山桜

 (うかれける ひとや はつせの やまざくら)

  出典:続山井/寛文七年(1667・24歳)大和・初瀬

【釈】見ろや、人いっぱいやないか。さすが花の名所初瀬の山桜や。我も人も、春を謳歌する浮かれ気分に浸って喜び楽しんでいる。天下泰平、いいことやな。

〈鑑賞〉本歌は千載和歌集、源俊頼の「憂かりける人をはつせの山おろしはげしかれとは祈らぬものを」歌意は——恋心が募ってもつれないあの人に、なんとか振り向いてくれるようにと、初瀬長谷寺(はせでら)の観音様にお願いしたというのに、山颪(やまおろし)の風は激しいまま。なんということであろう、と泣く。——若い芭蕉は、憂を浮に・山颪を山桜に置換して駄洒落を楽しんだのである。                            

二 命二つの中にいきたる桜かな

 (いのち ふたつの なかにいきたる さくらかな)

出典:野ざらし/貞享二年(1684・41歳)近江・水口

【釈】いま、お前と私が水口で二十年ぶりに会っている。立ち会っているかのように、桜の花が美しい。友よ、長い年月だった。よくぞ生きながらえてきたものだったな。

〈鑑賞〉前書きは「水口にて二十年を経て故人に逢ふ」。故郷伊賀における旧知の服部土芳(はっとり・どほう)と再会した際に詠んだもの。土芳は芭蕉が旅に出たと聞いて、伊賀から近江に後を追い水口宿でようやく会えたのである。

故旧忘れ得べきか。二人の感興いかばかりであったか、思いは遼遠である。この句、新古今和歌集の西行「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命(いのち)なりけり佐夜(さや)の中山」を踏まえているとも言う。

三 はなのかげうたひに似たるたび寝哉

 (はなのかげ うたひににたる たびねかな

出典:真蹟懐紙/貞享五年(1688・45歳)大和・平尾

【釈】吉野の桜を愛でた夜、宿った家の亭主の接待は謡を現にしたごとく快く、劇中の人物のように、夢幻の心地をさまよった気持ちであったことよ。

〈鑑賞〉一般に“花の陰謡に似たる旅寝哉”と書かれる。吉野といえば「歌書よりも軍書にかなし吉野山」であるから“二人靜”が下敷きかと思うが、前書きは「大和の国を行脚しけるに、ある農夫の家に宿りて一夜を明かすほどに、あるじ情け深くやさしくもてなし侍れば」とある。それもよし。

      “吉野天人”の音楽劇の大団円はさらにいい。「妙なる旋律、妙なる薫香、ただ舞い散る花片。なんと空より音楽の調べが下り、この世ならぬ香りはあたりに充ち、降る桜の花びらは止むことなし。語る言葉の終わらぬうちに、雲の上から。雲の上から琵琶、琴、和琴、笙(しょう)、篳篥(ひちりき)。羯鼓(かっこ)の音も鳴り渡り、相和す声澄み渡る。春風に舞い降りる、天津乙女の羽衣の、袖翻って花に舞い、戯れ舞うか春の風」と。——芳野の春は盛りなりけり、である。

四 日は花に暮てさびしやあすならふ

 (ひははなに くれてさびしや あすならふ)

 出典:笈の小文/貞享五年(1688・45歳)大和・吉野?

【釈】春は花に明けて花に暮れる。今日も一日処々の花を愛でて歩いた。遅日なれども春の日も暮れる。見れば彼方に花なき翌檜の大樹が一本、凝然と佇む。寂しからずや、春なればこそ我も寂寥。

〈鑑賞〉縁語としての「日」「暮」「明日」があり、「寂し」は「日は花に暮」「翌檜」にかかる。春の盛大は秋の斜陽と表裏をなす。そうなってくると、漢武帝の秋風辞の「歓楽極まって哀情多し」こそが下敷きである。以下に原文と読み下しを記す。

    秋風辞 武帝      

   秋風起兮白雲飛  秋風起ちて白雲飛び  

   草木黄落兮雁南帰 草木黄ばみ落ちて雁南に帰る

   蘭有秀兮菊有芳  蘭に秀でたる有り菊に芳しき有り

   懐佳人兮不能忘  佳人を懐うて忘るる能わず

   泛楼船兮済汾河  楼船を泛べて汾河を済り

   横中流兮揚素波  中流に横たわって素波を揚ぐ

   簫鼓鳴兮発棹歌  簫鼓鳴って棹歌を発し

   歓楽極兮哀情多  歓楽極まって哀情多し

   少壮幾時兮奈老何 少壮幾時ぞ老ゆるを奈何せん

   (「しゅうふうのじ ぶてい」 しゅうふうたちてはくうんとび そうもくきばみ

    おちてがんみなみにかえる らんにひいでたるありきくにかんばしきあり かじ

    んをおもうてわするるあたわず ろうせんをうかべてふんがをわたり ちゅうり

    うによこたわってしらなみをあぐ しょうこなってとうかをはっし かんらくき

    わまってあいじょうおおし しょうそういくときぞおゆるをいかんせん)

 花ざかり山は日ごろのあさぼらけ

 (はなざかり やまはひごろの あさぼらけ)

 出典:芭蕉庵小文庫/貞享五年(1688・45歳)大和・吉野

【釈】吉野の山は花ざかりである。それでも御山はいつもどおりの朝ぼらけ、変わるところはない。さかりであろうとなかろうと、この晴朗を見よ。いついかなる際でも日本一の絶景ではあるまいか。

〈鑑賞〉山は吉野。初めて花を訪うたのは四半世紀ほど昔。バスで奥千本か上千本まで一気に昇り、あとダラダラと駅まで下って行くのが賢明というもの。桜という木は自ら群生することがない。GWのころ、山中を歩いていると一本だけ孤独に花を咲かせている桜に出会う。鳥がどこかの花の蜜を吸って、山肌の上空を飛びつつ実生を落とし、花となって“山笑う”花となる。山中の一本桜を残花といい、夏の季語ともなっている。

しかし、吉野の桜の園は人間がつくった。遅くとも平安時代の後半期から、人々が植栽して維持し来った花園。その永続した姿が吉野山であり、その桜花を眩く感じる理由である。「愚公山を移す」は土盛りの山だけではない、美を永続させる意思でもある。私はそう思う。

 種芋や花のさかりに売ありく

 (たねいもや はなのさかりに うるありく)

出典:をのが光/元禄三年(1690・47歳)伊賀・上野

【釈】世の中の人々は花の季節にうかれて春を謳歌している。そのさなか、山里ではさといもの種芋を売って歩いている人もいるのである。

〈鑑賞〉この作品、読み方いろいろである。春だ桜だと浮かれ楽しむ人のいる一方で、秋の収穫のための種芋を売って歩く人もいる。艶やかな花と土の香の芋、遊興する人と篤実な人、町衆と農民。鮮やかな対比といっていい。

いま一つ春と秋の隔絶と近接も読める。春が花なら秋は月。中秋の名月は芋名月である。「御湯殿上日記(おゆどののうえのにっき)」というものがある。室町中期から江戸末期に至る間、宮中の御湯殿に奉仕した女官が書き継いだかな日記である。そのなかに「名月御祝、三方芋ばかり高盛」とある。芋とはサツマイモではなくサトイモのこと(薩摩芋は青木昆陽によって江戸にもたらされた)。となると、この句の芋売る人は八月十五夜を先取りした風流を、弥生の空の下を歌っていたのかもしれない。

 木のもとに汁も鱠も桜かな

(このもとに しるもなますも さくらかな)

出典:ひさご/元禄三年(1690・47歳)伊賀・上野

【釈】西行が愛した桜の下で花見の宴に興ずる人々がいる。今、その汁茶碗にも膾皿にも花吹雪が舞い積もっていく。

〈鑑賞〉この句、元禄三年三月二日に伊賀上野風麦亭で行われた連句の会の発句として作られた。芭蕉は連句の会に集った人たちに謡曲“西行桜”を引いて、花に憧れ日を暮らした西行の風狂に思い馳せつつ、句を編んでほしいと励ましたのである。本歌取ではないが、西行が詠んだ歌は「木のもとの花に今宵は埋もれてあかぬ梢を思ひあかさむ」である。歌意は——今宵は桜の木の下にあって、散りゆく花に埋もれて、なお見あきることのない梢の花を思いつつ一夜を明かそう――。

謡“西行桜”は世阿弥の作。桜の濃艶とともに非情無心をも説く。なるほど、濃艶であるものが多情仏心なんぞ持っているはずもない。最たるエロスは無心非情なるが故に人を惑わし破綻させるのである。

 春の夜は桜に明けてしまひけり

 (はるのよは さくらにあけて しまひけり)

 出典:この句は芭蕉41~51歳の間の作と言われるが、前記した服部土芳は

   出典を翁草とし、元禄四年(1691・48歳)大和・吉野としている。

【釈】春は桜に明ける。日々桜を見上げて、酒に喉を鳴らす。朝昼夜、晴雨を問わず花曇り、月皓々に花朧。飽きせず見る桜、感に堪えずの口ポカン。されど一陣の風そよげば吹雪か嵐、花のすべては舞い散って仕舞いとなる。諸行無常、無常迅速。

〈鑑賞〉この句の鑑賞は人を選ばない。山梨県立大のWebに「夜桜を見ているうちに春の夜は早々に明けてしまった。もしこの作品が、芭蕉初期のものであればこういう解釈であろう。後期のものとすれば、こんな単純な情景を叙するわけはないから、春の夜は、最後に桜に渡されるようにぼんやり明けていく、となるか?」と書かれてある通りである。全国にこの句碑が多い理由は、読む人の自由な空想にまかせたからと思われる。それでいい。

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