続 野分の文学

随筆とエッセイ

 あれだけ大騒ぎした台風10号であったが、大山鳴動してナントカ数十匹の結果であった。これは嬉しい誤算である。なんでも、9号が東シナ海をかき回して北上し、その際の撹拌によって海面温度が多少鎮まった結果、ほぼ同じ軌跡をたどった10号のエネルギー増強量が(スパコンの予測計算値より)低かったからだとか。

 まぁ、なんでもいい。「台風だって前車の轍は踏むのさ」である。さて野分の文学は『枕草子』に進みたい。枕草子は随筆である。だが真実、随筆でいいものだろうか。エッセイならばいいかな、と思う。きっと、ウィットやエスプリといった、バタ臭さを感じるからだろう。

 調べてみると大違い。エッセイはフランスのミシェル・ド・モンテーニュ著の『エセー』(Essai:1580)からの語。この書は“随想録”と訳されているが、フランス古語の試みるessaierが原語の“試論”でいい。試論と随筆は意味が異なる。しかも、随筆の最初はわれらが清少納言の『枕草子』(1002)だという。こうなったら、自らの西洋かぶれを笑うしかあるまい。

 随筆とエッセイは違う。随筆は本当にあった出来事の見聞や感想を自由に描いたものであり、出来事の描写ではなく筆者の個人的な心象を告白表現したものをエッセイという。国文学者の岩本素白(1883~1961)の説明である。岩本は麻布中学から東京専門学校を経て早稲田大学教授、初めての随筆講座を開くとともに自らも屈指の随筆家だったことで知られる。

 江戸っ子や東京っ子を粋がろうと思う者なら、彼の随筆を今のうちに読んでなきゃ大変だ。なにしろ絶滅危惧種、読み継がれないと文化は滅びるものである。

 随筆なるものを、文学のカテゴリーとして設定し囲ったのは、誰だかわからない。四字熟語に随感随筆なるもの――随感は感じるままに、思うままにの意。随筆は筆にまかせて、筆のおもむくままに書き記したもの。――「思うまま感じるままに書きつけること。また、その文」とある。あるいは「折にふれ書き綴った散文のこと。日常で感じたままを書いた文章のこと」ともある。ここらあたりが随筆カテゴリー誕生の淵源であろう。

 小学生のころ、家の書棚にあった『随感録』という本を「なんだろう」と引っ張り出して読んだ。筆者は27代首相浜口雄幸、古い本はルビがついているので漢字の読みは問題ない。昔の人間の文章は、美辞麗句というか、ベタに決まり文句と過剰である。「恰も大詔渙発せられ」といった常套句が頻出する。

 この語は”問題解決に窮していると、急に天の声が降りてきた”ことを謂う。政治外交の詔勅は内閣が宮内府と協議の上で出すわけだから、首相であった浜口が事前に知っていて当然のこと。それをさも知らなかった態で記す。戦前の政治家にあってリベラルを貫き、テロルに斃れた浜口ですら、事態の推移を神がかり的にぼかすのである。軍人だけが傲慢だったわけではない。権力内部にあった者全てが、国民に対して「知らすべからず、由らしむべし」の姿勢だったんだなぁと思った。為政者に不信を持ったきっかけだったかもしれない。(「随感録」は1931年三省堂刊)


清少納言の諧謔

 随筆の定義がどうであったにしても、やっぱり『枕草子』は随筆とは言い難い。周知のように、清少納言は一条帝の中宮定子の後宮にあって(秘書役兼広報官といった役回りである)Secretary Generalとして活躍した。然るが故に本書は「著者の思いつきや感じたことを筆にまかせて記したもの」なんかであるはずもない。

 私的であっても私ごとの日記ではない。いわば「中宮定子後宮の日誌」であり、定期掲載誌紙はなくとも「特派員レポート」でもある。その報告先は定子の父である藤原道隆や兄の伊周(これちか)であろうか。作者だけの私的世界に閉じこもった文章であったのなら、後世にこれだけの写本が流布されていったわけもないのである。読者が絶えることなく現代に至ったことは文学性の高さである。さらに歴史的価値として、平安中期の後宮生活が生き生きとした表現で公開されたことは、他に代えがたい日本史の殊勲ともなった。

 清少納言のセンスは諧謔にあるように思う。おもしろみのきいた洒落。ウイット、エスプリといったわけここにある。洒落は美しくなければ洒落ではない。「野分のまたの日」の美意識はどうであろう? ポストモダンというか、まるで現代人そのものである。その後の日本人が型に嵌め込んで窮屈を喜んだような倒錯感はない。感情の直截があり、自由気儘である。私はその闊達を慶ぶ。

 日本人の感性はもともとノンシャランだったはずなのである。その底流が時に地中から湧き出でて、ジャポネスクにもなり、世界の美術界をひっくり返すことともなった。それでいいのである。

 国文学者永井和子は清少納言と同時代人である紫式部とを対比して次のように言う。――『枕草子』の現象や時間をいきいきと自在に切り裂いて行く鋭い感性をとるか、『源氏物語』という虚構世界の中で深く厳しい人間への洞察を示した高い精神の達成度を評価するか。そして、それは好きかどうかの読み手の感性にある――と。

枕草子 第二百段 野分のまたの日

 野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。立蔀、透垣などの乱れたるに、前栽どもいと心苦しげなり。大きなる木どもも倒れ、枝など吹き折られたるが、萩、女郎花(おみなえし)などの上によころばひ伏せる、いと思はずなり。格子の壺(つぼ)などに、木の葉をことさらにしたらむやうにこまごまと吹き入れたるこそ、荒かりつる風のしわざとはおぼえね。

 いと濃き衣のうはぐもりたるに、黄朽葉(きくちば)の織物、薄物などの小袿着て、まことしう清げなる人の、夜は風のさわぎに、寝られざりければ、久しう寝起きたるままに、母屋よりすこしゐざり出でたる、髪は風に吹きまよはされて、すこしうちふくだみたるが肩にかかれるほど、まことにめでたし。

 ものあはれなるけしきに、見出だして、

「むべ山風を」

など言ひたるも心あらむと見ゆるに、十七、八ばかりにやあらむ、小さうはあらねどわざと大人とは見えぬが、生絹の単(ひとえ)のいみじうほころび絶え、花もかへり、ぬれなどしたる薄色の宿直物(とのいもの)を着て、髪、色に、こまごまとうるはしう、末も尾花のやうにてたけばかりなりければ、衣の裾にかくれて袴のそばそばより見ゆるに、童(わらわ)べ、若き人々の、根ごめに吹き折られたる、ここかしこに取りあつめ、起し立てなどするを、うらやましげに押し張りて、簾(す)に添ひたるうしろでもをかし。

【語注】1)立蔀(たてじとみ):蔀は格子に板を張ったもので風雨を凌ぐ。立蔀は外に立てた蔀。2)透垣(すいがい):隙間のある垣根。3)前栽(せんざい):庭の植え込み。4)小袿(こうちぎ):宮中女性の通常礼服。5)母屋(もや):寝殿造りの中心部にある部屋。その外側がひさし(廂/庇)。6)ゐざる:立ち上がらず膝行して動くこと。7)むべ山風を:古今集(秋下249)文屋康秀「吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ」。秋風が山を吹き下りてくれば、たちまちに草木が萎れる、だから山風を荒らし(=嵐)と呼ぶのだな。8)生絹(すずし):軽くて薄い夏の服。9)尾花(おばな):ススキ。

【釈】

 夜じゅう野分の吹き荒れたあくる日ほど、深い情趣を感じられるときがあるだろうか。立て蔀(たてじとみ)や生垣の隙間などがバタバタとなって、植栽もなにがなんだかボウボウと荒れ果てている。大木が倒れ、風で吹き折られた枝が、萩や女郎花の花の上に転がり伏せっている。思いもしなかったありさまである。蔀格子(しとみごうし)の四隅には、木の葉がこまやかに吹き込まれていて、わざと差し込んだように見える。荒っぽい風の仕業とはとても見えない。

 ふと見れば、濃い色がいくらか淡くなった衣を被り、黄朽葉色の織物に薄もの小袿(こうちぎ)の、いかにも清しい人がひさしに座している。夜の間じゅう風の騒ぎに眠られず、今朝はすっかり寝坊して起きたばかり。寝間から膝歩きで出てきたとみえ、髪が風になぶられて膨らんだまま肩にかかっている。こんな情景なんて見たことがない、素晴らしい!

 外の景色は見間違えるほどの変わりよう、驚きが「むべ山風を」の吐息となる。――山からの秋風が吹き降りれば、たちまちにしおれる草木――「そうか、だから山風を嵐(荒らし)と言うのね」と。

それなりに情趣も解する女なのだろう、十七八歳ぐらいか、幼くはないが、それほどの大人にも見えない。生絹(すずし)の単(ひとえ)が目立って綻び、花柄は褪せて濡れている色の薄い宿直着(とのいぎ)を着た若女房である。

髪に艶があって色麗しく、長さは背丈ほどで尾花の穂のように広がり、衣の裾と袴の襞(ひだ)の間に見え隠れしている。庭では、小さい子や若い人たちが忙しく立ち働いて、風に根こそぎ吹き折られた木や草を、ここかしこと取り集め、あるいは起こし立てたりしている。女はそういったことをしている人たちを羨まし気に、身体で簾を外へ押し張って、それにピッタリくっついて外を眺めている。その後ろ姿も趣があっていいものだ。

【鑑賞】融通無碍の活躍?

 この段を見ると、筆者の自由奔放ぶりは破天荒である。随筆の定義が“本当にあった出来事の見聞や感想を自由に描いたもの”ならば、尚更と言っていい。事実を見聞きした場所が自由であり過ぎるし、観察結果の報告と感想も余りに飛躍している。かといって、架空の絵空事を構築しているわけではない。ルポルタージュとして読むにはおもしろいが、報告文書としては難があり過ぎるといった趣なのである。

 文章は、野分のあくる朝、中宮御所の内庭を描写するところから始まる。最初に結論が提示される--「いみじうあはれにをかし」と。すべてを見通し規定してしまう。傍若無人の振舞いとも思えるが、筆者のキャラクターなのである。それでも、視点は軒下あたりを飛ぶ鳥の眼で、建物の外側と庭を見渡し、ここらはまだ概しておとなしい。

 ついで、廂(ひさし)に姿を現した若い女房にズームする。視点たる鳥は低く舞い降りて、いつか飛んでいる虫の眼に映像が変わる。地位は中どころ、清げな若い女は夜中の嵐に眠れず、朝寝坊していま目覚めた風情。眼に脂がついたまま寝起きの膝歩きで縁側に、髪が風に乱れて肩にもたれボーッと外を眺めている。

 このとき作者は「こんな情景なんか見たこともない、なんと素晴らしいの!」と感嘆する。こんな情景とは、野分がもたらした樹々枝葉の狼藉だけではなく、御所仕えの規矩整然かつ服制端正である女官が、こともあろうグチャグチャになっていることの驚嘆である。本来なら茫然自失するほどのこと、しかし筆者はこれを楽しんでいる。それこそ愕然!

 若い女房は目前の景色を眺めつつ「むべ山風を」と呟く。そんな声を現場で聞いたとは思えないから、後になっての取材である。「わたし、あのときに和歌の意味がわかったんです」と、嬉しげに語ったに違いない。恐るべき構成力! 若い女は歌の素養もある、髪の長さも色艶も申し分ない。庭では老いも若きも後片付けに皆が甲斐甲斐しく働いている。その様子を女房は、若さの好奇心いっぱいに簾にピッタリ身体をつけて、興味津々で見つめている。簾は外に弓なりに膨らんでいる。このとき、作者の視点は虫となって、女のうなじに止まって外を覗いている。まさに変幻自在。それからちょっと退いて、「外を覗いている若い女房の後ろ姿が、またいいんだなぁ」となる。

 つまりは「定子様の御所はおもしろところ、女房たちは見目麗しく、センスがあり活発な子ばかりなんです」というPRに帰結する。天子様もいらしてください、お公家様も是非お遊びに寄ってください、である。

清少納言、才ある女人畏るべし!

TOSHIHIRO IDE について

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