李白の「清平調詞」

 宋の周敦頤に『愛蓮説』というのがある。

――水陸草木の花、愛すべきものはなはだ多し。晋の陶淵明は独り菊を愛す。李唐よりこのかた、世人はなはだ牡丹を愛す。

 読み下し文にはリズム感があって、好きな漢文の一つである。周敦頤は狷介不羈であったのか「予独り蓮を愛す」のであるが、この詩を読んで菊は季節はずれだし「隠逸」というから少し敬遠して、春は「富貴」なる牡丹があでやかでいいなと思う。そうはいっても、春の日本は質量ともに桜であることは揺るがない。冬牡丹を愛でるのは先駆けを好むというより、桜によって影が薄くなる前に早々と鑑賞を済ませようというのかもしれない。

 牡丹が李氏の唐代から人気が沸騰したのは、高宗の皇后からついには自ら帝位に就いた武則天が好んでからといわれる。だが、むしろ李白や白居易が花と楊貴妃を対として相詠じて以降のことではなかろうか。その李白『清平調詞』七言絶句三絶が以下である。タイトルの清平調詞とは唐代に奏された俗楽二八調の一である清平調に譜した歌詞を意味する。いまなら「K―POP SONGS」といったふうになるか?

清平調詞

其一

雲想衣裳花想容 春風拂檻露華濃 若非群玉山頭見 會向瑤臺月下逢

其二

一枝紅艶露凝香 雲雨巫山枉斷腸 借問漢宮誰得似 可憐飛燕倚新粧

其三

名花経國兩相歡 長得君王帯笑看 解釋春風無限恨 沈香亭北倚闌干

【読み下し】

(一)雲には衣裳を想ひ花には容を想ふ 春風檻を拂って露華濃やかなり 若し群玉山頭に見るに非ずんば かならず瑤臺台月下に向って逢はん

(くもにはいしょうをおもい、はなにはかたちをおもう / しゅんぷうかんをはらってろかこまやかなり / もしぐんぎょくさんとうにみるにあらずんば / かならずようだいげっかにむかってあわん)

(二)一枝の紅艶露香りを凝らす 雲雨巫山枉しく斷腸 借問す漢宮誰か似るを得たる 可憐の飛燕新粧に倚る

いっしのこうえんつゆかおりをこらす / うんうふざんむなしくだんちょう / しゃくもんすかんきゅうたれかにるをえたる / かれんのひえんしんしょうによる)

(三)名花経國兩つながら相歡ぶ 長へに君王の笑ひを帯びて看るを得たり 春風無限の恨みを解釋して 沈香亭北闌干に倚る

(めいかけいこくふたつながらあいよろこぶ / とこしえにくんおうのわらいをおびてみるをえたり / しゅんぷうむげんのうらみをかいしゃくして / ぢんこうていほくらんかんによる)

【釈】

1 たなびく純白の雲を眺めれば(はだえが透き通るうすものの)貴妃の身にまとう衣〈ころも〉を思い出し、(大輪の)牡丹の花を見れば(笑みこぼれる)貴妃の顔〈かんばせ〉が目の前に浮かんでくる。 / 春の風が(興慶宮にある)沈香亭の欄干の塵を払って朝露が陽の光にまばゆく光る。 / (この美しさに妍を競う)美しき人を(仙女の住む)群玉山の頂で見ることができなければ、 / きっと今夜の玉の台〈うてな〉の月の光の下でまみゆることであろう。

2 咲き誇る紅い牡丹の花の露には芳しき香りがこもっている。 / 楚の襄王は巫山の神女と夢に契った交情がむなしくなって悲嘆したという(だが漢宮ではそんなことはない)。 / それでは訊いてみよう、いま漢宮のなかに誰が貴妃の美しさに並ぶ者があるか? / いま(夜の初めの)化粧をしたばかりの(漢の成帝の寵妃であった)趙飛燕の可憐さだったらどうであろうか(とても及ぶまいと思われるが)。

3 漢宮に咲き誇る名花と絶世の美人の両方が(帝の)世の春を寿いでいる。 / 陛下は(我が世のとこしえを確かめるように)ふたつながらを笑みつつ御覧になっている。 / 惜春の思いにただ眺めやる花の庭を春風がほぐすのか、 / 沈香亭の欄干にもたれている美人の頬に風が過ぎる。

【蛇足】

 雲に衣裳を想うとすれば、春の軽やかな白い雲であろう。玄宗が楊貴妃のために作ったという派手やかな舞曲「霓裳羽衣(げいしゅううい)の曲」。羽衣となると生地は絽か紗か、いずれにせよシースルーであろう。なお、衣裳の衣は上半身を包み裳は下半身を包む。衣も裳も欲情の対象となろうものである。これを継いだ花に想う「容」は首から上であろうから表情をもつ。春の愁いが(3)に表れるのでここは笑みをとったが、濡れ場の表情を想起するのは読む人の勝手である。

 楊貴妃はたっぷりとした豊満な美女だったといわれる。「長恨歌」の浴を賜う華清池の場面での「凝脂を洗う」という表現とかのイメージで、大輪の牡丹によく合っている。西王母のいる群玉山の禁断の果実である桃とも連想できるし、(2)に出てくる(痩身といわれる)飛燕とは対比のおもしろさがあって、李白の技巧が天才的であるのが納得できる。 沈香亭は沈香という香木で作った亭である。玉山とは容姿端麗な人または人格高潔な人のこと、西王母の住まいかは手元の事典ではわからないが、美人の群れ集っている場所であろう。瑶台とは殷の紂王のつくった美女の住まう台で月の異称でもある。ともかくこれでもかと貴妃が美人だ、絶世の美女だとの繰り返しである

 傾国の語源となったのは漢の武帝に仕えた李延年の「絶世傾国の歌」である。この歌を帝に奏して妹を後宮にあげて立身したという。傾国は絶世の美人をいうが、我が国における傾城(けいせい)とは(江戸時代の)遊郭の遊女をいう。

北方有佳人 絶世而独立 一顧傾人城 再顧傾人国 寧不知傾城与傾国 佳人難再得

――北方に佳人有り 絶世にして独り立ち ひとたび顧みれば人の城を傾け 再び顧みれば人の国を傾くる なんぞ傾城と傾国を知らざるや 佳人は二度と得がたし

 絶頂の春が謳われたのはいつのころだろう? 楊貴妃は(719~756)である。735年に玄宗の皇子の妃となり、740年に後宮に召された。745年に貴妃に挙げられた。一方、李白が翰林供奉となって帝のそばに侍したのは742~745年、ここは成り立ての貴妃であり25とか26歳の絶頂の女ざかりであった745年の春にしたい。

 楊貴妃こと楊玉環が逝く春を恨みつつ縊(くびくく)られるのは、あと11年後のことである。

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