地生え大名と地域性

 江戸時代は日本で封建制度がもっとも確立された時期であった。理念としての封建制-―御恩と奉公の双務契約を基底とした分封と領主裁判制-―ではない。制度の揺れがなくなって安定的に静まったのである。人々は百年を一日の如く、何も変わらず変えてはならない生活の繰り返しを行っていた(とされる)。庄屋の家は代々庄屋を行い、年寄の家や百姓代の家もまた然りである。むしろ水呑身分が努力と才覚で町方の職人や商人になったりもした。この点、下層の流動はどうでもいいのかもしれない。支配構造は中間層が核心なのではないかと思ったりする。

 実は領主である殿様も天とともに存在していたのではない。江戸260年の幕藩体制を一藩で通した地方はそれほど多くない。さらに領主が(落下傘ではなく)その地の土の中から生まれた「地生え大名」となると稀有である。それらを資料紹介的に概観してみたい。なお”地生え”の定義は戦国時代から幕末まで一ト所を動くことなく領主であった大名家とする。

 その前に該当しない領主について触れておく。将軍及びその家臣で大名及び目見え以上の直参旗本を武家というが、武家以外の公家や寺社領という土地がある。京都北郊の八瀬や山国が長年禁裏御料地であったように、その地からいえば近衛や神宮がある意味で”地生えの領主”であったといえなくもない。だが、将軍は将軍になった--天皇から大政の委任を受けた途端、法制的にも禁中を含み公家及び寺社を統制する権限を手にするのである。「禁中並に公家諸法度」や「諸宗寺院法度」「諸社禰宜神主法度」を定める。禁裏御料地であろうと寺社領であろうと将軍から宛てがわれたもので、しかも領地ではなく荘園なのである。荘園の地頭とは幕領(当時は天領といった)の代官があたった。領主裁判権は公家寺社にはないのだから、とても”殿様”とは呼べないだろう。蔵米を受け取る権利をもっていたといったあたりがせいぜいか。

 徳川将軍家もまた「地生え大名」ではない。将軍になったことによって頂く側から与える側に立場が変わった。オールマイティになったらゲームではなくなるから降りたことになる。もうひとつは徳川の本貫は三河であって、豊臣秀吉によって関東に移されたのだから一所不動ではない。天正18(1590)年8月1日に家康は江戸に入府した。これを江戸開府という。すべての始まりとみなされたので、八朔祝賀は幕府の重要な式日であった。また、大名のうち親藩・家門・連枝といわれる徳川及び松平一門、三河以来の家来である譜代衆にもまた地生え大名はいない。これは説明するまでもないだろう。彼らの祖先が戦国時代に領主であったことはないのだから。

 国主大名では薩摩島津77万石と肥前鍋島357千石の2家。島津は平安末期に日向島津荘の荘官となり、その子忠久が源頼朝から薩摩大隅日向三国守護に任じられた。これを初代とする。77万石は内検地高でかつ無役の琉球12万石を含む、シラス台地に米は実らず実高は30万石もいったかどうかである。鍋島は出自不詳の小豪族から出て、戦国大名の少弐・龍造寺と閨閥を結び、秀吉・家康に取り入りつつ家中の人心を収攬して藩を簒奪した。その直茂を藩祖とし子の勝茂を初代とする。両藩とも廃藩まで地方知行制という古風を引きずったところに、因習の根強さというか地生えらしさをみる。

 準国主あるいは国主格では南部20万石、津軽10万石、宗対馬守10万石格の3家。南部は甲斐源氏の流れが平安末期に漂着して云々とあるが疑わしい。それでも鎌倉末期には土着の形跡は残っていて室町戦国をかいくぐって生き延びた。秀吉によって本領安堵を得て10万石で徳川大名となり、のち高直しで20万石となった。津軽は南部の家臣大浦が主家を出しぬいて秀吉に臣従して津軽氏を称したもの。はじめ45千石で高直し後10万石となる。両家とも寒冷地でありつつ石高に執心し、米作りを強制して何万人をも領民を飢饉に殺した。南部・津軽の暗愚さは特筆すべきである。

 宗は平安から鎌倉にかけて、地方役人が中央の混乱に乗じて政庁を乗っ取った。元寇を契機にアジアへの外交通商代表ぶりを身につけ、僻陬の強みで関ヶ原で西軍になってもなんのことはなかった。朝鮮国との窓口として幕府を揺さぶり、実質2万石を10万石格にし、国書偽造事件も有無なく勝訴するしたたかさをみせた。

 以下は肥前平戸松浦61千石、大村27千石、五島12千石、肥後人吉相良22千石と日向飫肥伊東51千石が九州にあり、東北には陸奥相馬中村6万石と出羽本荘六郷2万石が、下野では大田原12千石と黒羽大関18千石がある。これらと他藩の注釈(例えば蝦夷福山の松前はどうかとか)についてはまた稿を改めたい。

 なお、私としても(標準の設定の解釈によっても)疎漏が危惧されるので決定稿とは言いたくないのである。

  

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