徳恵翁主についいてのP(3)

なにが問題だったか?

2010年秋に提起された『徳恵翁主』映画化が、ついには頓挫せざるをえなくなった原因は次の書評を読めば納得できるだろう。

Bestsellers 世界の書店から 第39回夏の3都市特集 その3 “「絶版に」と遺言。高僧の著書に読者殺到”」(The Asahi Shinbun GLOBE;2010/07/19)

→ http://globe.asahi.com/bestseller/100719/03_01.html

評者の戸田郁子さんには面識がある。留学先のソウルで写真家と知り合って結婚され、日韓恋愛事情や嫁姑意識のエッセイや翻訳など多数を日韓で出版。旦那さんが近現代史をも視野に入れた活動でハルピンの大学に招聘された際には、自らも語学留学を兼ねて満州における朝鮮族の歴史を調べた研究書を著された。現在はソウルで出版社を経営しつつ執筆活動も精力的に継続されている。

なお、徳恵翁主の小説に関する部分は後段となるので正確なURLは下記となる。ただ前段と併せて読めば自ずと、評者の小説へのスタンスがはっきりするように思う。→ http://globe.asahi.com/bestseller/100719/03_02.html

書評の対象となったのは『徳恵翁主 朝鮮最後の皇女』(クォンビヨン;2009/12)。小説は2010年上半期のベストセラーになり、その余禄か児童用の伝記やラジオ劇場の作品としても発表されて、一般の韓国民をも広く知る人物となった。日本語による解説を花かんざしさんがブログで行なっている。韓国歴史論述研究会の著した児童用伝記の『朝鮮最後の花 徳恵翁主』は(ブログ筆者によれば)次記の「徳恵姫」との相違もそれほど甚だしくないそうである。それこそが「真実と思わせることになるのではないか」と、私は危惧するけれども。 ともかく下記のURLから→ http://papercascade206.blog.so-net.ne.jp/tag/%E5%BE%B3%E6%81%B5%E7%BF%81%E4%B8%BB

小説に先行して出版されたのは『徳恵姫 李氏朝鮮最後の王女』(本馬恭子 葦書房1999)である。小説の作者クォン氏が「非常に参考になった」と述べているように、徳恵翁主についてのほとんど唯一のノンフィクションであろう。

徳恵翁主に関連する書籍としては、韓国のラストエンペラーであった純宗の異母弟で皇太子だった李垠(イウン)の『英親王李垠伝 李王朝最後の皇太子』(李王垠伝記刊行会 共栄書房1988)や、その妃だった梨本宮方子女王の『李方子妃 日韓皇室秘話』(渡辺みどり 中公文庫)らがある。しかしながら、徳恵翁主に関する記述はあまりに僅少でしかなく、「早くから心身の病気に冒されてかわいそうな方だった」程度である。

といって、本馬氏の“ノンフィクション”を全面的に真実であるとするには躊躇がある。物語のもう一方の主役である(徳恵翁主の夫だった)宗武志との関係が深いからである。

武志は黒田家から宗家に養子になって後、藩地であった対馬に転校させられ厳原の小中学校に通った。その寄宿先は本馬氏の母の実家であったし、本馬氏の祖父は転校した厳原高等小学校の校長であった。著者の姉は戦後間もないころ、お正月に親に連れられて東京の伯爵邸へ伺候し、その時に徳恵夫人の姿も見かけた記憶があるという。著者が宗家重代の臣の系譜に連なり、宗武志はたんに郷土のお殿様ではなく重恩の主筋だったとの想像も、強ち的外れではあるまい。

宗武志のイジメによって徳恵の精神が異常となったとか、強制的に精神病院に監禁したとかの「事実でない誹謗中傷」への義憤と反論こそが、本書出版を意図する一義的な目的ではなかったろうか。

それはいけないことではない、むしろ君臣の義といってもいい。筆者が長崎市に居住し対馬に地縁血縁があり、配偶者が県立高校教諭として長崎近世史の権威だったことは天恵であった。亡き宗武志と李徳恵にとって自らの人生を描かれるに際して、これ以上の筆者を望むことは難しいであろう。だからこそ私は“ためらふ”のである。一方の意見にまったく同意したのでは科学の客観性からは問題ではないか、と。(*ためらふ  古語では「気持ちをしずめる」「心を落ち着かせる」の意。”悲しくとめ難くおぼさるれば、とみにもえためらひ給はず〈源氏・若紫〉”。)

国民の意識差

小説の作家へのインタビュー記事をそのまま受け取れば、クォンビヨン氏は徳恵翁主の“Roman”ではなく“Life”を描きたかったらしい。だが『徳恵姫』という日本人の手による書籍が先行して現れた。さらに韓国語訳も出たことで、何年もの間コツコツ調べ材料を集めていたことが烏有に帰すのではないかと衝撃を受けた。しばらく茫然としていたが、もう一度再創作する気を揺さぶられて気力を振り絞って書いたのだという。

作家が想像力の翼を広げて描いた作品は、もはやノンフィクションではなくストーリーとなる。歴史上の人物が主役となる「歴史小説」は史実と物語描写の異同が常に緊張をはらむ。私は1989年に死去した人物―――(無名の庶民でも有名な犯罪者でもない)高貴な有名人―――を題材にするのは無理がありすぎるように思う。しかし作家は書いた。責任はとらなければならない。

作家はこの作品の発表までいわば無名作家であった。小説とは人々の娯楽に供する作品であり、学術研究のためのものではない。そうであるならば、読者を意識するであろう。迎合というのではなくとも、読者の常識に沿った作品を書くのは小説家の義務である。そこに齟齬が生まれる。

中華人民共和国が抗日パルチザン戦争を通じて鍛えられた中国共産党とその指導下の人民解放軍によって建国されたのは、日本人にとっては他国の神話でも、中国人にとっては歴史の真実である。同じように、韓国が日帝植民地支配の艱難の中で全国民が独立を希求して戦った結果に解放を勝ちとったことも、韓国民すべてにとっての絶対的真実である。

植民地時代の韓国人は四六時中独立を心に秘めて、その時を窺(うかが)っていたのである。総督府におもねって売国的行為をしていた者はもとより、なにも考えずに日本人の頤使(いし)に甘んじていた者も独立を妨げる敵の一味なのである。真実も常識も牢固として揺るがしてはならない。

たとえば独島(ドクト:竹島のこと)、ふつうの若い韓国人が「どうして日本の政府は日本の領土だなんて言うのですか?」と真顔で私に質問する。「まぁ立場上言うしかないでしょう」なんて答えてみても、(そんなものですかね)とも思ってくれない。がっちりと刷り込まれている。もっとも最近の日本人も随分おかしくなってきた。報道の客観性からは「政府が日本領土と主張している竹島を、同じく自国領土と主張する韓国の国会議員が……」と言わなくてならないが、ニッポンのTVニュースでは「日本の領土である竹島を韓国の国会議員が……」と言う。これを「日本人の知が衰弱している」というのである。

小説のストーリーが事実と異なるというのは批判の対象にはならないのである。抗議をするのなら実在した人物に対する虚偽の事実に限るべきであろう。たとえば武志が徳恵の頬を打ったかどうかを争っても意味はない。もっと大きな眼を持たなければならないのだ。

司馬遼太郎の『竜馬がゆく』が世に出るまで、坂本龍馬は(土佐では知られていても全国的には)無名の志士に過ぎなかった。長崎の観光だって阿蘭陀(おらんだ)万歳と新地の中華街に原爆しかなかった。『竜馬がゆく』は世の中を変えた。幕末維新史が京都のチャンバラだけではなく、列強をも巻き込んだ(長崎での龍馬の活躍を通して)幕府や各藩のせめぎ合いをも描かれるようになった。日本人の歴史はより彩り豊かなものになったのである。それまでの歴史の授業では西郷・桂・大久保を維新の3傑といっていたのだから、歴史学とはその程度の薄っぺらさだったのである。

率直に言って、今回の問題の根っこは「韓国の常識」と「長崎の地方性」の対立である。私はProblemをProjectに転換しようと思う。そのための方策はある。そのためには鍵が必要である。

なにが鍵となるか? 考えていきたい。

TOSHIHIRO IDE について

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