判事の職たりしをもって

『われ判事の職にあり 山口良忠』(山形道文 出門堂:肥前佐賀文庫004, 2010/03)《1982年文藝春秋社発刊のものを復刊》を読んだ。

1947年10月11日東京地裁判事山口良忠(34)が郷里佐賀県白石町の実家で結核によって死去した。それが11月4日付朝日新聞西部本社版に、「食糧統制に死の抗議 われ判事の職にあり ヤミ買い出来ず 悲壮な決意つづる遺書」の見出しで掲載されて世に出た。当時、配給された食糧だけではとても生きていけないのが現実であった。ヤミを拒否して自ら餓死を選んだとして世間にセンセーショナルな話題を投げかけ、賛否両論と毀誉褒貶が鋭く対立したのだった。

戦時下の1947年にできた食糧管理法は、国家による全面的な食糧の配給統制を定めて国民の死命を戦争協力に集中させた。だが敗戦は国家統治を破綻させた。生きていくための食糧を供給できない国家が、一方で必死の努力で生き延びようとする国民を断罪するのである。為政者の道徳と倫理の退廃そのものではないか。このニュースに首相夫人は「うちもヤミは買いませんが、みなさんが持って来られたものはいただきます。奥様にもっと工夫があったのではないでしょうか」といい、最高裁長官は「食管法は悪法だが、それがなければ貧乏人は餓死しますよ」と言うのであった。

著者の山形道文(1929~2009)は函館弁護士会長も務めた法律家。本書は丹念な取材による関係者の”証言”と各般の訴訟記録を渉猟して構成されている。本書の目的は”法の正義の追求”であろう。その結論は復刊された本書の末尾に著者夫人が寄せた文に、「夫は山口判事のことを、節を全うした聖人=”達節”の人とし、自分は一段下の節を守りぬく者=”守節”と号するようになりました」とあることに尽きる。

緊急避難の法理というものがある。刑法37条にかくある。

第37条(緊急避難)

1 自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。

2 前項の規定は、業務上特別の義務がある者には、適用しない。

簡単にいえば「正当防衛行為は許される」が第1項で、「軍人の敵前逃亡は許されない」が第2項である。配給の食糧では生命を維持できないから、やむを得ずヤミを買うのは緊急避難の他の何ものでもない。それを捕まえて懲役だ罰金だを行う権力とはなんだろう? こうした被告人側の訴えを裁判所はことごとく却下した。犯行動機を縷々述べているだけである—-つまりは「盗人にも三分の理に過ぎない」と。

しかも、もし緊急避難が認められるにせよ、それは一般人のことである。—-「我は判事であるがゆえに法第2項によって適用されない」と山口判事は考えたのではないか—-と、著者は思う。だからこその書名であり「達節の人」である。

食管法における「法の正義」をどう捉えるかは難しい。国家が統治能力を喪失していた(現に主権者は天皇でも国民でもなくマッカーサーであった)のは間違いないが、国民はアノミー(anomie 社会規範崩壊)に陥ることなく、憤慨しつつも適度にふてぶてしく居直って社会生活を維持したのである。治者の暗愚から国家を救ったものは被治者の賢明であった。警察官・検察官・裁判官らが、昼は庶民のヤミを無慈悲に弾圧しつつ、夜はこそこそと自らもヤミに励んだ姿は滑稽で悲しいが、それが崩壊した国家の民の実相であろう。

となると、山口良忠は大いなる勘違いをしていたのではないか? 『維摩経』には「一切衆生病むをもって、この故にわれ病む」とあり、「一切衆生の病滅せば、すなわちわが病も滅せん。衆生病離るるを得ば、菩薩もまた病なかるべし」と説く。慈悲とは共苦同悲の思想から発するのである。山口の思想はそれではない。法隆寺にある玉虫厨子には有名な「捨身飼虎図」が描かれている。釈迦の前世マーハサッタが我が身を捨てて飢えた虎を救ったという、崇高な自己犠牲による大慈大悲を表現する。彼の”捨身”はそういったものではない。

昼に弾圧し夜にヤミを乞うような”惨めな治者”になりたくなかった。自らの論理的一貫性のためなら死すとも構わない、立派ではあるが薄ら寒い決意である。国家統治の基盤がすでになくなっているのである。彼はそれを気づかない、いや気づいてはいけない建前に固執する。なぜなら民衆に空虚が暴露されるからだ。支配機構の末端として許せないのである。

なぜそこまで思いつめたか? 小学校長であり神職であった父の”皇国教育”の結果もあろう。父も「私が殺したのかもしれない」と述懐していたという。旧制高校の同級生は「彼が寮生活をしたり、ともに酒を酌み謳歌していればかくならざりしものを」と語っている。純粋であるということは往々にして視野狭窄と同義語となる。同期生の中で稀有な召集されることもなく命を全うしたことへの罪悪感もあったかもしれない。だが特攻機で敵艦に突入を強いられた死と、食管法に身を殉じたような死は一概にできるものではあるまい。

偉そうに言うのではなく、「お前ならどうする?」と問われたらどうだろう。いくらでも解はあろう。教育者になる、在野法曹になる、民間の勤め人にある。ともかく死の選択だけはありえない。戦争を生き延びた命を、自分のためにも世の中のためにも、そして家族のためにも無駄に殺していいはずがない。彼の死が結果として裁判官の待遇改善に大いに役立ったそうだが、なんと酷い話であろうことか。

1950年銀座で8名の参加を得て旧制佐高文甲のクラス会が開かれた。40名のクラスで戦死3、病死4、消息不明12であった。宴なかば誰かが、「山口はかわそうだったな」とつぶやいた。瞬間、すべてがフリーズして沈黙があたりを支配した。しばらくして「あのフウケモンが、」と誰かが言った。すると先ほどの喧騒が戻って、場面はなにもなかったように旧情を交歓しだしたのである、と本書にある。

他人の死を称揚するのは何らかの意図がある。「われ判事の職にあり」は反語として訓むべきと思われる。

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